幸福はささやかに・・・

詩をひとつ

 

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 私を束ねないで  

                  新川和江

 

 

わたしを束ねないで

あらせいとうの花のように

白い葱のように

束ねないでください わたしは稲穂

秋 大地を焦がす

見渡す限りの金色の稲穂

 

わたしを止めないで

標本箱の昆虫のように

高原から来た絵葉書のように

止めないでください わたしは羽撃き(はばたき)

こやみなく空のひろさをかいさぐっている

目には見えないつばさの音

 

わたしを注がないで

日常性に薄められた牛乳のように

ぬるい酒のように

そそがないでください わたしは海

夜 とほうもなく満ちてくる

苦い潮 ふちのない水

 

わたしを名付けないで

娘という名 妻という名

重々しい母という名でしつらえた座に

坐りきりにさせないでください わたしは風

りんごの木と

泉のありかを知っている風

 

わたしを区切らないで

・(コンマ)や・(ピリオド) いくつかの段落

そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには

こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章

川と同じに

はてしなく流れていく 拡がっていく 

 

 

 

入稿の時期に入り、詩を探しています。

候補は別ですが、この詩は新川さんのけっこう有名な作品ですね。

もし自分が同じタイトルで書いたら、どう書きましょう?と想像していました。

 

いつの頃からかアイデンティティがまず大切、という時代になってきたと感じるのは私だけでしょうか。それとも、たとえば妻、女、母という名があったほうが却ってその人にとっていい方もたくさんおられるのでしょうか。

 

もしかすると、男性だって「◎◎と呼ばないで」と思っていらっしゃる方が多いかもしれません。

 

私は、自分のことを振り返れば、もう妻はもとより、母でも女でもない。

ただの「わたし」です。

そう思えば、新川さんの詩は「千の風」の如く、「在るもの」として在るわたしを認めてほしい、または、みとめなくてくれなくても「わたしはそうなんだ」と言っているのかな・・と想像します。

 

しごくまっとうで、健全で、美しいと思ったのでアップしてみました。

ブログではあまり借りてきた文章は載せない主義ですが・・これを久しぶりに読んで新鮮な風を感じた今日です。