幸福はささやかに・・・

つぶやき

いつか見た、頭脳の優秀な高校生対象のスーパーサイエンスだったか、数学だったかのテレビ番組のことをふと思い出しました。

 

ある生徒が質問したことにこたえて、先生が「君がいてもいなくても、世界はある」と言ったのだけ覚えていました。

ゆえに質問は、「自分が認識しない世界はないと等しいのですか?」みたいなことだったかと・・。

数学や科学で答えられることと、哲学的な見方は違うのではないかなあ・・と感じたので、何となく憶えていたような気がします。

 

仏教は時間の哲学、と誰かが言ったこともうろ覚えで憶えているのですが、誰が言ったんだろう。

時間といえば、空間が出てくる、空間が出てくると、次元が出てくる(私にとっては)。今は5次元の説明がやや出来つつあるそうですが、4次元もわからないのに、どういうことなんだろうなあ。

 

いまや時間は未来から過去に向かって流れているなんて説もあるらしい。

でも待てよ、過去から未来へ流れる、という考え方もおかしいのではないか?

そもそも宇宙の始まりなんてわからない上に、宇宙は今もずっと膨張し続けているらしい。

過去というものの一番はしっこが宇宙の始まりとしたら、最初はものすごくちっちゃかったっていうことかしら。おかしいね!

 

未来から過去へ流れる時間、というのもわからない。

 

私は般若心経のなかの「増えもせず減りもしない、浄くもなければ汚れもない、生まれもしなければ滅しもしない・・」というのがなぜかピンとくるので、時間というものはあるようで、実はないのではないか、と思っています。

 

つまり、錯覚。

 

しかしながら、地球という星の上に自分は肉体を持って生かされていて、死ねば地上から消える。生まれて滅する、けれども、それも大宇宙から見れば砂より小さいわけで、そこに大した意味はないのだと思う。星のもつ時空間の必要性と有用性があるだけ。それに地球から見た時間が、宇宙全体で通用するかどうか?

地球人が自分を中心にして考えた結果のものしか、今はわかっていないんだ。

 

だから、最初の高校生の質問は気になるところで、自分が認識している世界(何でもいいが)は、自分がいるから在るのであって、正解なのではないかと思う。

それ以外の人がどう思おうと、関係ない。

 

何でこんなこと考えているんだろう?

 

早く寝なくちゃ!