Mさんへ

Mさんが一昨日亡くなり、お寺に遺体が運ばれて、今日子どもたちや僅かな親族が集いました。

和尚様とは云十年前、草野球をするときに知り合った仲だそうで、その後いろんなことがあって一家でこちらに移り、子どもたちは訳あって、このお寺で育ちました。

Mさんは東京でタクシー業や福祉の仕事を十数年され、とても美食家だったせいか糖尿病になり、目を患ってから岩手にまた戻ってきました。そうはしたものの、お寺での生活は窮屈だったのか、しばらくは一人住まいをされていました。そしてもっと目が悪くなってから此方へ来たのはいいのですが、かなり依存するタイプの方で、まったく生きる努力(歩くこと、食べることも人がいないとしない)をしなかったこともあって、ついに自分で病院へ行くことを選ばれました。

入院されると、ほどなく認知症が始まり、それから特養老人ホームへ移られ・・・たった一年半で衰弱して亡くなられたのです。

ご自分が望んだこととはいえ、ちょっと切ない最期でした。

 

子どもたちは小さい頃お寺に来て、和尚様が本当に一所懸命育てられたので、どちらかというと和尚様が『父親』のような役目だったと思います。皆早くから自立し、お母さんは途中で再婚されて、皆それぞれの道へ。

でも遠くへ行った子ども(どちらも30代)二人はお盆には帰ってきますし、家族も連れてきます。ここがやはり実家なのですね。

 

Mさんは、子どもにはあまりお金もかけなかったし、何かあっても協力できなかったのですが、和尚様にだけは信頼を寄せていました。それでもやはり目が悪くなってからの努力はされなかったので、そこからあっという間に崩れてしまいました。

周りは励ましたり、手伝ったり、色々してもあまり満足されませんでした。ご飯も3食お部屋に運んでいましたし、お風呂なども二人がかりで入れたり、とできるだけのことはしました。それでも本人にとっては全然足りなかったようです。

 

私たちは自分たちでできることは試したし、実際続けた事実があるので、ご本人が「入院したい」と決められたときは、もう反対はしませんでした。

依存癖が強いので(孤独になるのではないかな?淋しがり屋なのに大丈夫かな?・・)と心配もしましたが、仕方ありません。

 

 

そうそう、私はMさんとのいい思い出がひとつ、あります。

自分がその時も死にかけ、20キロもやせてしまった(入院していた)あるとき、Mさんがお見舞いにいらして、病室に白い山吹の花のついた枝を一折、持ってきてくださったことがあったのです。

そういえば私には何となく優しかったMさん、そっと手渡してくれたのを覚えています。黄色い山吹が多い中、わざわざ白いのを手折ってきてくれたのだなあ、、と嬉しかったです。

 

太って体格のよかったMさん、今棺の中にいる彼はすっかり痩せて頬がこけ、全く別人。びっくりするほど変貌していました。

これでよかったのか、私にも分かりません。

 

でも、子どもたちも妹さん、元奥さんも来て、棺の周りで静かに語らっています。

初めて穏やかな団欒を迎えたような、そんな気さえしています。

皆は大好きだったお焼き(あんこの入った、太鼓型の)やキットカットを買ってきて、お供えしました。

 

明日は火葬と葬儀です。

 

 

 

これは私の考えですが──思うに、帰属するところを時々逡巡しながらも、ある程度明確にして生きたほうがいいと。

それは家族や、連れ合いだったりするかもしれない。うんと仲のいい友達のグループでもいい、仕事仲間でもいい、趣味でもいい、帰属せず一人で孤高に(自分自身が帰属点)、というのでもいい、信仰でも、思想でも、政治でも、芸術でもなんでもいいと思います。後悔しない道(選択)であれば。

本当に独りで逝くのですから・・・そのとき、人生が何だったか、きっと自身に問う瞬間が来るでしょう。

 

「これがしたかったな」「ああすればよかったな」という何かし残したことはあっても、真っ暗な後悔だけはしたくありません。

死ぬ時は弱ってしまってそれもわからなくなるから、別にいいさ、とうそぶいてもなんだか違う。

 

かといって、「さあ、私は何に帰属しよう」として、するものでもない。

これは運命ともいえるし、生き方というか、そんなものの原点としか言いようがありません。

 

Mさんを借りて、また私は自分の帰属する原点を見直すことになります。

やはりここでの「暮らし」をリアルに続けていくこと。その時々に深く落ちるのを目指して、そのものと一体になること。身も心もそうするとついてくるから・・ 

「暮らし」が自分の帰属する場所であり、時であり、心です。

 

人はどんな生き方をされても、亡くなることで何か学びを残してくれるのだなあ・・と思います。確か、死ぬと21g体重が減るとか。それは一説では『魂』の量なのだと聞いたことがあります。

21gは天に還り、あとは土に還る。

見えない学びは、残された者のなかで変容して糧になっていく。

 

でもまだまだ欲の整理ができてないな、と感じます。

願わくば、世界でどんな悪いことが起きても、帰属する点を忘れないでいきたい。見回しすぎて頭のなかがごちゃごちゃになるより、きちんと暮らしていこう!

 

 

Mさん、ありがとう。白い山吹、嬉しかったよ。

もう、迷わなくてもいいね・・。ずっとお疲れでしたか?

 

どうぞあちらの世界で、ゆっくりお休みください。

                                    合掌

  

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白山吹