無題

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昨日から曇りがちで、湿気が多いです。そのせいか、窓を開けると涼しいのに、閉めるとむっと蒸し暑い。へんてこな気候です。

お休みの19日は、少し皆より早めに起きて朝食はパンで適当に。

(自家製カスピ海ヨーグルトにレタスサラダ・バジルソースがけ、小岩井農場のチーズと卵焼き、九州から送られた晩柑。そしてカフェオレ)  

結構お腹一杯に・・

 

 

  

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   買ってきた苗はたまたまお得なお値段でした。しかも丈夫そうです。

 

 

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小さな三角の畑のような花壇。男性陣のお陰で堆肥もたっぷり入ってます。

 

手前は青紫蘇。  f:id:moshiryu33:20170720081712j:plain

セージや斑入り唐辛子、ミニダリア、白い桔梗(地植え)など、無事に植えましたよ。そのほか白い変わった植物は、洗面所に飾って。

 

まだスペースがあるので、ちょこちょこ植えてみよう。

 

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医師の日野原重明先生が18日にご逝去されました。

お恥ずかしいことに、余りご著書も読んでおらず、立派なお医者様だなあ、とだけ思ってまいりました。

ハイジャックされた飛行機に搭乗されていたことは知りませんでした。それから無事に帰られて、『これからは人のために生きよう」と決意されたのですね。

 

その時、先生は58歳。

自分は3回ぐらい今まで死に掛けていますが、拾った命なのにこれからは殆ど余生のような気がして、気がつけば現在、ポジティブさにちょっと欠けていることに思い至りました。

そうか、先生のような立派な人物でもないし、ハイジャックというような異常な状況ではないにしても、人は何歳からでも「これからは・・」と考え、生き方をも替えることができるんだな、と目からうろこと言いましょうか、ドキッといたしました。

 

「1粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ1つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」(ヨハネによる福音書12章24節)。

厳しく、そうなることが本当は難しい、聖書の有名な一節ですね。

 

余談ですが、京都に「一燈園」というご奉仕の学び舎があります。その創始者天香さんという方はクリスチャンではありませんが、その言葉のような人生を全うされた方でした。彼についてきた初期の人たちは、他国にポンと下ろされ、そのような生き方(死に方)をされたといいます。

「死ねますか」

そこに命をささげたい人が、天香さんから最初に言われる言葉でした。

 

 

日々同じような、それでも少しずつ違う時を頂き充実しているなかで、また時に鮮烈で新鮮な思いを持てるなら、愚鈍で弱い自分でも、なんとありがたいことか。

フィードバックしながらも、諦めずに何かを(行為でも、思想でも、信仰でも、なんでも・・求道と言うと大げさですが)続けていたら、今より少し前進するかもしれない。

あ、いや、前進は自分が判ることではないな・・ただ、やり続けるだけだな、きっと。

 

やはり慣れていいことと、自分にとってはあまりよくないことがあるのだな、と思います。言葉や態度一つとっても、そのときの境地・境涯は大抵誰にでもばれてしまうもの。

先生のお陰で、自分のひよっこを確認できました。

 

 

105歳という天命を全うされた先生へ、合掌します。

いい言葉が思いつきません。ただ、この世に生まれてくださって、本当にありがとうございました、という気持ちだけです。

(悲しいというより、なんだか「長寿」の寿、という言葉が浮かんでなりません)