幸福はささやかに・・・

ものごとの中心?

よく私どもの間では、「中心」「原点に返る」というような言葉が使われます。

 

物質にはすべて中心があるんでしょう?

それは数字とか図形で表すこともできるのかもしれませんが、ここでいうのは例えば果物で言うと「種」だったりするもの。

全部その中心はどこかな?何かな?って考えると面白いですね。

 

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地球にもおへそがあるとしたら・・重心のもっとも集中したところでしょうか?

でも宇宙のそれはわからない。

 

人間の心の中心はそれぞれ。何を以って生きる中心とするか。

大切なこと、という言い方も出来ますね。

 

よく迷われている人がご相談に見えます。

殆どの場合、すべて相手のお話をお聞きするのが最初の段階。それから何かたずねられたら、そのときいらした僧侶の皆さんがお話されます。

 

ここ(お寺)での中心というのは経済でもないし、家族・血筋でもありませんから、根本的な話が重要になります。でも、たいていの場合、ご相談者は身内のしがらみの問題や、自分の経済の話、子どものことなどが多い。

 

回答を聞いていますと、ご本人のことで来る方は少ないので、まずその方が腹を決めること、自分が学ぶことを僧侶の皆さんは話されているようです。(具体的には時間経過を通してから、またその方が来られた時に何かしらわかります)

それが、最大公約数的な、伝えられる「中心」への糸口なのかもしれません。

 

相手の相談内容にも拠るので、回答はそのつど違いますし、表現も皆違います。でも、やはり「中心」となるものを、もっているかどうか(もつかどうか)で大分変わってくる。

 

人と対する時、

 

その人の中心って何だろう?

何を大切にしていきたいのだろう?

 

と私はふと考えます。

 

自分自身は「而今」と「知足」に尽きるかなあ、と思っています。

ちゃんとそうなっているかはちょっと疑問ですが、それを大事にそこを中心にしてこの先もいきたいです。

 

その言葉は「暮らし」に落ちること、人との付き合い方、食べること、考えること、総てに通じて大切なので、(なんだかおかしいな・・この頃うまくいかないな)とか、(どうも話が通じないなあ)(体がおかしいな)とか感じたり、ほんとうにそうであると、何か中心がずれてるってことになります。

経済も然り、健康然り、人付き合い然り。

 

 昨年の病気はインフルエンザという突発的なものではありましたが、持病の甲状腺との絡みもありましたので、もっともっと普段気をつけるべきでした。

 命を救われて、ほんとうに身にしみました。

 

 

お友達がいらしてくださることが増えたこの頃、あるとき、お子さんのことで悩んでいらっしゃる人がいました。

「相談があるの」

と言う場合は、たいてい聞くだけがいい。意見はしないです。

聞いた後、彼女がどう思っているか、これからどうするか、大体決めている。私はただ、その気持ちに沿って全て聞いて、頷いて、こう言いました。

 

「あなたが一所懸命育てたお子さんだもの、いいものをたくさん持っているはず。

只、今はその悩みを解決する時間がほしいね。

すぐどうこうするのではなくて、ゆっくり考えよう・・・その一つとして、いつだってここに来ていいんだよ!」

 

すると安心したのか、

「そうだね、いつか二人で来るよ。お願いね」

と返って来ました。

 

大急ぎの悩みの場合はそんな風に行きませんが、聞くと言うことの大切さをしみじみ思います。話すほうは話す段階で相手を信頼してくれていますから、いい気になって意見を言うと、きっと辛いでしょう。

私自身もそんな経験がありますから・・。

 

そのお友達の中心は「健康」「家族の幸せ」なんだな、と思いました。

 

相手の中心に沿って話を聞いていると、具体的にみえてくるものもあります。でも、見えたことを言うのではなく、漠然とふんわりと、その空気を共有する。それぐらいしか自分には出来ません。ただ、その中心を尊重することだけ。

 

生き方の相談では、大義名分に見えて、経済のことであることも多い。

それならそう言ったほうが早いのに。格好つけないでほしいと思うことが多々あります。

だって、経済を中心に今考えているんです!って、全然恥ずかしいことではないでしょう?

 

いろんな中心がありますね。

 

あなたの中心はなんですか?