読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

思遠の毎日

日々のこと、感じたことなど、備忘録

さもなくも愛おしい日々。

一応、読書もするんだよ

  •  

    f:id:moshiryu33:20161109125223j:plain    f:id:moshiryu33:20161109125244j:plain

     

昨日買ったのは、右の本。

パラパラめくってみただけですが、(わあい、いい本だ!!)と嬉しくなりました。小見出しにもズギューンときますが、随所に詩歌(詩)が載っているんです。

 

ユン・ウンデさんの本も、繰り返しフィードバックしながら読んでいるところ。

理解するのに、頭だけでは無理というか、それこそ身体で読まないと判らないから・・。

(その他は、漫画ですが・・桑田次郎さんの『観音経』等)

 

たまたま、言葉とその身体化についてなんとなく考えていた時に、左の本と出逢ったんです。まだお二人のこともよく知りませんが、言葉を大切にしておられるところは共通している・・と感じます。

      「悲しい絵」の画像検索結果

 

例えば、誰かが亡くなったとき、「ご冥福をお祈りします」と言ったりします(私もつい使ってしまうことがありました)。

これは仏教からみると大間違いで、冥界というのは死後にいく世界で、例えば地獄にも通じるところでの幸福を願う、ということ・・意味がわかりません。

だから、本当は使ってはいけないのです。できれば、お悼みいたします、とか、安らかにお眠りください・・・がまだいい。

 

*ただし、実生活では普通に使われてしまっているので、使ってはだめだ、とは言いきれません。感受する心、思いやりが、一番大事ですから。私も今年一度、使ってしまった気がする・・・

 

そうしたことはたくさんあります。自分の知らないことも・・。

 

ブログでよく誤字・脱字している自分ですので、あまり大きなことは言えませんが、

平川さんは最近の記事で、特に公の人に「謹んで」を「慎んで」と間違っているケースがかなり多いことを指摘しておられました。

http://bimyo-kotoba.com/back051202.htm 

↑ こちらにわかりやすい言葉の説明が載っています。

 

調べ方で、「慎んで」と「謹んで」はほぼ同じ、とするところもありますが、私はだいぶニュアンスが違うように感じます。

 

振り返れば、自分が使いやすい言葉や癖ってありますね。

かならずこう言う・・といった言い回しの癖や、わかったつもりで「そうそう」と言ってしまったり、知らないのに知っているふりで適当に会話したり。

 

そうしたことを自他共に客観的にみたら(恥ずかしくもありますが)面白い。

  

          f:id:moshiryu33:20161109135420j:plain

                     パウル・クレー

 

こうした絵なんか見ていますと、画家の人は言葉以前に描くもののイメージが身体のなか(頭のなかと同時に)にあって、それが無意識を含んだ意識でもって、実際の技量で描くのな??と感じます。

 

 

知っていることより知らないことのほうが多く、できる事よりできないことの方が多いのは当たり前ですけど、でも、どういった質、どういう傾向で考え、観て、何を思うか、はやっぱり無意識に選択している気がする。

その最大公約数的な部分を日常出しているんだなあって。

 

 

 

今日は外ではちょこっと霙が降って、寒い。

室内ではストーブがたかれ(薪ストーブだと最もいいんですが)、静か。

コーヒーが傍にあって、読書が出来るって至福ですね~f:id:moshiryu33:20161109143042j:plain