さもなくも愛おしい日々。

今日も小雨

坐禅中、とても穏やかな雨音が聴こえていました。

おかげで集中でき、息もよく腹に入ってくれました!

 

      f:id:moshiryu33:20160615073946j:plain イメージ

       *うちでは単のある所は畳です。

 

突然ですが、私の母が亡くなったのは、1995年。享年60歳。

59歳の誕生日直前に入院し、60歳の誕生日直前に亡くなりました。スキルス性の胃癌でしたので、当時は特に何も手段がなく、見つかってから何もしないまま、一年入院。腹水を取ったり、輸血したり・・・それぐらいでしょうか。

63キロあった身体が38キロまで落ちて、それでもぎりぎりまで明るかった母でした。(看護師さんたちにも人気があったなあ)

 

私は当時35歳、子供は11歳。祖母もまだ元気でいた上、子供は中学入るくらいでしたので、手がかかりはしないけれど、放っておくわけにもいかない年齢。兄弟は弟二人で忙しいし、妹はその頃行方不明。(詳しいことはここでは割愛)

実家まで往復100キロ以上の道のりを1日に2往復したりして、当時は高速道を130キロで飛ばして通っていました。ほんとに若かったからできたなあ、と思います。

ただ病院は市内でしたので、助かりました。

 

しかもこの一年前に大好きな祖父が亡くなったばかりでしたので、家族にしてはやはり大変な頃でした。

私は自宅で教えていて、仕事をやりくりしたり休んだりしてお見舞いに行くしか何もできませんでした。ただ、母に癌のことは教えていなかったので、本人は治るものと思っていたようです。

 

父は母のために特別室に変えたりしてお金もつぎ込んでいました。いろんな売薬を買って与えたり・・・私もコッカス(マクロファージを増やし、癌を食べてくれる菌)を買って飲んでもらって、その時だけ進行が止まっていました。でも、病院と父の話し合いで抗がん剤を始めてからは、私も強く出られず、コッカスは続けないてそのままになってしまいました。今思うと、もっと強く進めておけば・・と思うところもあります。

 

そうして、10月生まれの母はその年、病室から北上川の白鳥の飛来を眺め、次の年にはもう見ることができませんでした。1995年1月関西の大地震があり、翌年3月オウムサリン事件のあった、嫌な年。ほんとに、よく覚えています。

 

また特別室にいたとき、ここの和尚様に一度お見舞いにいらしていただきました。

そのとき、たまたまテレビのNHK埴谷雄高(はにやゆたか)さんの特集をやっていたんです。(よりによって・・・!)というと埴谷さんに失礼ですが、母も和尚様と一緒にじっと見ていて、

「言うに言われないことを、この人は書こうとしているんですねえ」

と話していました。

埴谷さんといえば難解極まる本を一生かけて書き続けた評論家・作家。例えば、こんな感じ。 

www.youtube.com

 

私はそばではらはらしていましたが、やはり直感の鋭い母は、自分の死と関係なく見ていて、何かわかったのだなあ・・と後で感心したものでした。この場面は、どういうわけか目に焼き付いています。

 

1935年生まれで小学生の頃は両親とともに数年満州へ。ハルピンで暮らし、戦後帰ってきてすくすく育ち、最終学歴は家政短大。新しくできたばかりだけれど、いい学校だったそうです。スタイルがいいうえ足がきれいで長く、「100万ドルの足」が流行ったころ、新聞記者に追いかけられたとか。絵もうまく、実は美大に行きたかったのを両親の反対であきらめた母でした。

その後、父(180センチでスリムで背が高く、若い頃はかっこよかったようで)とお見合い結婚。私ら4人の子宝に恵まれ、周りから「幸せ直ちゃん」と呼ばれていたそうです。

 

こんな母でも、激しい祖父と養子である父との間に入って苦労したり、「苦労がなくていいね」というやっかみを受けて、長年の間に胃を悪くしていたようです。

最期は目を左右に動かしながら、誰かを探しているような感じでした。私は咄嗟に、

「産んでくれて、ありがとう!!」

と叫びました。それが唯一、子供としての私が母へ伝えられたことかもしれません。

 

                 ★ ★ ★

 

簡単に書きましたが、実は私は、「母の年齢まで生きられないだろう」と思っていた時期がありました。たぶん、ダメだろうな、と。ただ悔いのない日々を過ごしていましたので、何故かまったく怖くありませんでした。

しかし、なんと、もうあと半年でその年齢。もしや、祖母や母が見守ってくれているんだろうか、と感じます。

 

せっかくいただいたこの命。どんな状態でも、大切にしなくては。

持病のせいでお金もかかるし多少やっかいですが、母の分まで、もう少し生かさしてもらいましょう。

 

*ちなみに、今私がいるまでの間に、これくらいのご先祖がいらしたのです。大体25で親になるという場合の計算を見つけました。

 

100年前:2の4乗 =16人
200年前:2の8乗 =256人
300年前:2の12乗 =4,096人
400年前:2の16乗 =65,536人
500年前:2の20乗 =1,048,576人 (約100万人)
600年前:2の24乗 =16,777,216人 (約1千6百万人)
700年前:2の28乗 =268,435,456人 (約2億6千万人)
800年前:2の32乗 =4,294,967,296人 (約42億人)
900年前:2の36乗 =68,719,476,736人 (約680億人)
1000年前:2の40乗 =1,099,511,627,776 (約1兆人)

 

ほんとに、ありがたいものですね。有るのが難い、とはよく言ったものです。

一兆ものご先祖様、そして身近だった家族・・・心から、感謝。

                                  合掌