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思遠の毎日

日々のこと、感じたことなど、備忘録

さもなくも愛おしい日々。

大宇宙と目の前と

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広い広い宇宙にも限りがあるかもしれない、ということですが、日常の瑣末なことに捉われてしまいそうなとき、少しむなしいとき、ふと、私は大宇宙を思うようにしています。

 

といっても、行ったこともなければ、写真でしか見ることのできない宇宙は、実際、想像の域を越えません。

でも、それでも、(宇宙から見て)砂粒のような・・・いやもっと見えないほど小さい自分の命が、こうしてものを考えたり、しゃべったり、血を流したり、痛いとか嬉しいとか・・精一杯生かさしてもらっている。

思えば不思議なことですね。奇跡といってもいいくらい、小さな自分の存在が今あることに、何か宇宙の持つ大きな妙を感じます。宇宙がなければ自分もいない。

反対を言えば、自分があるということは、宇宙もあるわけで・・。

それはすごいことだなあ!と。

 

なぜ自分が生まれ、ここにいるかを明らかにしたら、ブッダと同じかと思います。それは理屈ではなく、瞬間にわかることだそうで・・・

 

目の前のことをしっかりやることは、ぶれないことにもつながりますが、もうひとつ、やっているうちに、次のやるべきことが見えてくる、という利点があります。

そうやって一つ一つ、ズルをせずやっていると、大きなものではないけど「安心」という贈り物が知らないうちにやってきます。

批評されたり褒められたりすることもなく、(またあったとしても、気にしなければいい)期待もせずに淡々とやっていると、必ずやそれが積み重なります。

そうすると、何かあってもそう揺るがない心ができていくように思います。

いい意味で「動じない心」、いざというときにはこれがものをいいます。

 

生きていくうえで必要なものは、具体的にはお金だったり、人間関係だったりしますけど、実は、心というものが日常、かなり作用しますね。

そういえば、仏教では安心を「あんじん」と呼びます。

*悟ると、大安心(だいあんじん)を得ます。

物と家、家族があって安心なのではなく、あくまで自分のありようをいう訳です。

 

 

宇宙は摂理とともに存在し、日々生滅を繰り返しており、地球上に目を移せば、人の一生も似たようなもの。つまりは、摂理を忘れなければ、大きく間違わない、ともいえましょうか。

好きな言葉のひとつに、「天行健」(てんこうけんなり)・・天の道行き(摂理)は常に変わらず健やかである・・というのがありますが、この健やかには、生滅も入っているわけで、なるほどなあ、と思いました。

乱暴な言い方をすれば、人が苦しいと思うこと、悲しいと思うこと、みんな天行健に含まれる。もちろん、喜びも、楽しさも・・。

 

自分の感情のなかで最も嫌なのは、「虚しい」感じです。人に裏切られて虚しい、というようなはっきりした理由のある虚しさより、ただ虚しい、それが一番嫌です。

その感情は、一つに絞られていない時にやってきます。

漠然として前が見えない、「今ここ」に落ちていない、そんなときがたまにあり、小さな虚しさに捉われる。でも、払拭する方法も知っているので、さほど重症にはならないのですが、やっぱりそんな自分は心もとありません。

 

虚しい自分も大宇宙や摂理からすれば何の関係もなく、とるに足らない。

そんな風に、あっちから自分を見るようにすると、バカバカしくなって、じきに楽になるんです。

 

本当に大事なことは何か。

そこを忘れないようにして、今の自分の浅さ加減、深さ加減をきちんと観れるようになりたいです。そうすれば、(あ、今自分はこんな感じかあ!ばっかだなあ)と、自分を笑うことができる。

そんなことを思ってにやにやした昼過ぎでした。