さもなくも愛おしい日々。

その時に際したら・・

カメさんの今日のブログを読んでから、半日考えさせられました。

 

戦争は勿論、嫌ですし、反対です。そして『集団自衛権』の名の下に戦争が出来る状態に国家をもって行く、その政府は相当の言い分があったとしても、やはり危険だと感じます。

そして、一番私が怖いと同時に考えるのは、例えば──ISみたいな凶暴な、有無を言わさず人殺しをするような国の奴らが自分のところに来たら、もうあっという間に殺されて終わりだろうな・・・ということや、なんであれ兵士が来て、任務を遂行するため銃を向けられたら、私は一番小さい子供らや弱い人をを守ろうとするかしら・・・ということ。その上から撃たれても・・・

でも、例えば相手に隙があって、しかし身の危険が迫っていたら、どうだろうと。

私は包丁とか持ち出し、兵士に向けるかもしれない。相手の後ろから刺して殺すかもしれない。そして仲間と逃げる!!

又は、無抵抗でそのまま連行されるか──。

それに、息子や仲間の子が兵隊にとられるようなことになったら、もっと大変です。これはもう、断じて駄目です。結局、子供という目で見たら、どこの国でも戦に出すのは駄目なんです。ただ、悪い国が居て、日本を狙っているとしたら、どうしよう・・・ということだけ。・・・なんだか幼稚な書き方でごめんなさい。

 

願わくば、そんな事態になってほしくは無いですが、もしなったら、本当に命なんて風前の灯でしょう。

仏教で心を養ってきても、いざとなったら、私はどうするんだろう、と今まであまり考えたことがありませんでした。

和尚さまは、きっと、合掌したまま殺されるでしょう。いつか、そんな事を仰っていました。実際、行脚の途中に何度も死にかけたことがあって、でも死自体は怖くなくて、たまたま助けてくれる人もいたとか。だから、命は授かりものといつも仰います。

 

但し「戦争」は異常事態です。いくら普段いい人でも、相手だって、多分普通の人が兵士になっているのですから、お互いの政府によって命令どおりに殺し合えば、頭も異常になって当たり前なのかもしれません。

 

今だって、どこかでそんなことが起きている。人間の歴史はずっと、その繰り返しです。今幸福で居られることは、実は普通ではないのでしょう。

でも、やっぱり思うのは、平凡な自分はいつも同じ事をして暮らしていますので、そう大きく何かが変わるとは思えません。ただ、相手にひるまず、例え殺されることになっても、手を広げて誰かを守れるか──それが、私の中で最も大事な点です。

 

戦争とは、殺し合いです。自衛と言っても、相手も殺され、こちらも殺され、残るのは一番トップのアホばかり。みんな、犬死にではありませんか?

私は、子供のために闘うかもしれない、とカメさんのところでコメントしました。自衛は仕方ないと。でも深い深い、仏道の本心から言って本当にそうなのか??

 

これからもそのことを、戦争が無くても考え、自分のあり方を監視したいと思います。

 

唐突ですみません。出来れば、カメさんの16日のブログをご覧になっていただけると、幸いです。

 

分別の心からはなれ、今をただ自在に生かされますよう・・ 。