さもなくも愛おしい日々。

夜も更けて・・・

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8時からの読書の時間(あるいは自分なりの勉強)、MOKUという月刊誌3月号の「具体と実践の科学」という記事を先ほどから読んでいました。

私には難しい内容ですが、わかるところもあります。

ちょっと注目したところがあります。対談は、秋山豊寛さんと、MOKUの主筆、井原甲二さん。

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井原 概念が若い人たちに伝わりにくいのは、具体的な見方、具体的な関係性、そういうものがないからでしょうね。

秋山 若いうちは語彙が少ないため、言葉を取り巻く概念が構築しづらいわけです。でも、それらを埋めるのが具体なのです。父親や祖父の時代は、それを文学学問としてではなく具体性の中から身に付けてきたのだと思います。ところが、学校教育制度が整ったおかげで、たくさんの失敗や具体的経験から学ぶという手間ひまが欠け落ちたままに、具体性から離れる暮らしをしてきたためなのかもしれない、という見方もできます。一定の目標に向かって効率的な思考をする若い人たちを生み出すことには長けていた制度かもしれないけれど、ゼロベースから自分で考えていく機会が足りないのではないかと思います。それがないと概念についてもあいまいなままの存在になります。概念から出発する世界こそが優位であるという誤解に満ちている世界は危険です。実体や現実から出発した発想をもつ存在こそが対応能力を備えた存在に成り得ると私は思います。

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ちょっと長くて、著作権にひっかかりそうですが・・・

お話は前から続き、この後もずっと続くんですが、ここにひっかかったのは、あのM君が四国に出かけ、今、それなりの行動をしているかどうかが気になったからです。

彼はもともと知的な人でもなく、働いてお金を貯めて人並みの暮らしをしたい、という欲もなく、病気のため国から援助を頂いて10年ここで暮らしていました。でも、あまりにも働かないし、ぼやぼやしているので、和尚様がはっぱをかけたんです。

 

で、色々皆のおかげでリュックを背負って、M君は夜行バスに乗るところまできました。東京に着き、次どうするか判るまで、一日かかったようです・・・

彼の今は、本当に彼のレベルでゼロベースどころかマイナスベースもいいとこです。今までの適当な事を言うだけの人生からは何も役立つ事は見つからない。命の総力を挙げて、今、彼は頭を使い、体も使っていると思います。

四国では時にバスなどを使って行ってもいいんだよ、ということですが、さてどうなることでしょう?

 

しかし、こんな事を書いている私だって、(何でもいいけれど)ゼロから実際の行為行動をしないままなら、彼を笑ったりなど出来ません。なんといっても彼は今、必死で挑戦しているのですから・・・

 

要領よく行動できる人には、こういった課題は出ないでしょう。もっとその人にとって大変な──例えば畑仕事、物運びのような肉体労働とか、色々あると思います。

いずれ力をつけるには、耕された畝があり、なんでも整い、さあ、種を植えてごらん、では駄目なんだと改めて感じます。

 

それと、このMOKUの文章の本題、「グローバリズムによる世界構造とシステムの空洞化に対抗し、実存として生きていくための」考察等は、頭が悪い私でもちょっといいなあ、大切なことだなあ、と感心しているところです。まだちゃんと理解していないけど・・

 

概念的な新しい情報に、前の情報がすり返られていく(しかもその速度が速まる)ことが重なって、益々実存から遠くなる。そうすると、簡単に言えば、騙され易くなるってことじゃない?  そりゃたいへ~ん!!!

 

余談ですが・・・自分の暮らしを振り返ると─森が多いし、冬はちゃんと寒いし、野生動物はやってくるし、色々体感できます。

ちょうどよく不便なので、必然的に、色々やらないと生活できないのがいい。でも、男性陣が頑張っているので・・私はさっぱりやっていないほうだなあ。

 

もっと個体として、手や足を使ったり、たくさん感じたり、言えないなりに言おうとしたり・・自分の機能をちゃんと使ってあげよう。

そういえば、この寺は大工さんだけでなく、みんなで造ったお寺でした。塗装・壁塗りはお手のもの。(私はいつか、砂壁も塗りましたよ!)こういったことがとても勉強になったと思う。

M君、がんばれよ~ 私も体使うぞ~!!