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思遠の毎日

日々のこと、感じたことなど、備忘録

さもなくも愛おしい日々。

天の眼

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間違って、昨日の記事を削除してしまったのでお空の画像をアップしました。☆つけて下さった皆様、ごめんなさい!!

 

天の眼、というのをあることを例えて和尚様に質問すると、こんな答えがきました。

端的に言えば、どんな状態でも受け入れる、抱きしめること。その眼。例えば自分を殺す人を、殺される自分が抱きしめる、同じ人として・・。そういう眼。」

今までも良く聞いていたのですが、改めてすごいなと感じました。

 

つまりそこには世界の全ての事象が含まれる。かたや戦あり、かたや平和あり、かたや富あり、かたや貧乏あり・・・と両極があってひとつ、それをいかに汎く受けとめ、受け入れられるかが本当の自分の力。

力がなければ、天の眼がなければ、受け入れられないということになる。

 

不謹慎かもしれませんが・・・ふと私はISに殺されたジャーナリストの後藤さんを思い起こしました。ニュースを知ったとき、怒りと割り切れない悔しさ、哀しみがむらむらと湧き、同時にあの静けさは何だろうと思いました。

・・シリア人の長く酷い惨状を一番知っている方なので、こんなこと言うと極端ですが、ユダたちに殺される(聖書ではユダは裏切った、ですが)イエスのようにも思えました。仏陀にしても、戦で焼け落ちていく両親の住む城を静かに見つめていた、と言います。表現が読む方にとって不適切に感じられましたら、すみません。

でも後藤さんは、すっと鎮まった状態で受け入れているような、すっかり覚悟しているような眼でおられたように見えました。

 

天は人間がすることを全て止めもせず、成るように成らせて、それを突き放しじっと見ているのでしょうか。

人間は状況の中で最善を尽くそうとするが、大抵は天の眼で行なってはいないので、自国の利益ばかり追求してまた悪循環が続く・・・

 

 

後藤さんの死が無駄にならないためには、自分が、本当に小さいことでも戦の原因になるような心を捨てる、ということかもしれません。それは何か、これからも内省して自分を調べ、また暮らしていきたいです。

後藤さんのことは、一生忘れません。