幸福はささやかに・・・

何事のなきを…

大好きな、大谷翔平選手、新人王とられて、本当によかったです。

賞もさることながら、まずはマウンドに立って日々元気に野球ができることが、彼の一番好きで落ち着くことなんだろうなあ、と想像しながらひとりでワインをちびちび飲んで祝った昨夜でした。

 

 

せんだって、朝のお説法の時、二人しかいない本堂で、住職の尼僧さんがお話の途中でこう尋ねられました。

「……人生って、何なんだろう…と、その方(苦労されて、ただいま入院中)は泣きながらつぶやいていました。〇〇子さんだったら、何と答えますか?」

 

私はその日、坐禅中とてもいい時空間にいて、いい日だなあと感じたばかりでした。その雰囲気のまま、こう答えました。

「はい。人生に対する答えになるかどうか、わかりませんが…

これまでの私の人生の中では、皆さんもそうでしょうが、山あり谷あり、いいことも悪いことも色々ありました。でも、すべて移ろっていきました。その時どきは確かに一所懸命にやったけれども、あるのは《今》だけです。

今日の坐禅中、目の前のろうそくの光がすーっと真っすぐに、止まって美しく燃えていました。(私は現在、椅子坐禅をしています)

それを見たとき、こんな言葉がふっと出てきました。『何事のなきを深めよ』と。

ふっと、何だろうな、これは?と思ったけれど、とにかくとてもいい時でした。

…生きることは、つまり、その『只今』に無心に落ちて頂く(行う、感じる)ことに尽きるのではないでしょうか。……」

 

後で振り返って、答えになっていなかったかも…、またその人が聞いても伝わらないかもしれない…と思いつつ、また考えてみました。

積み重ねることで得る技術とか、結果というものは確かにあるにはあります。しかし、生きることは、この瞬間を頂くこと、それが後で見ればつながっているように感じるだけなのではないかと。

 

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坐禅はご飯を食べるような感じで長いこと行ってきて、その日は久しぶりに天からきた、私へのメッセージというか、示唆に有難さを覚えました。

 

これからもいい時もそうでない時もあるでしょう。

何度か死にかけたりもしましたし。( ノД`)

 

しかしこの言葉を胸に、これからも淡々と暮らしていこうと改めて思ったのでした。

 

 

入院中の方は紆余曲折あって、もうすぐお寺にいらっしゃいます。

つとめて、優しく接してさしあげよう、と皆で言い交しているところです。

 

「人生とは」と考えて泣くよりも、まず今を味わってほしいけれど、しばらく時間がかかりそうです。

そして、なんであれ努力してきたことは決して無駄にはならない、それをきっとそのうち感じてくれることでしょう。

今、言えるのは、「人生は一年の四季みたいなもので、(今みたいな)晩秋や真冬もある。けれど、また春がやってくる」

と。

 

さて皆さんなら、どうお答えになるでしょうか?